未来のことに向かって
是非とも理想は持つべきものである。
もっとも重要なるは信である。
―渋沢栄一著『論語と算盤』第5章「理想と迷信」より引用
はい、どーも、
【主役になれる野菜·矢切ねぎ】
魅力伝道師の近藤です笑
アラフィフ世代の
ネギージョ・ネギダンの皆様、
おはようございます お変わりなくお過ごしでしょうか?
ぼくは、起床時に閃いた
鳥取の「そっちが鳥なんだ!!」感と
秩父の「そっちが父なんだ!!」感の類似性に感動しています。
日銀と財務省は昨年、
新紙幣を今年の7月3日に発行すると発表しました。
デザインのリニューアルは2004年以来20年ぶり。
1万円札は「日本の資本主義の父」
と呼び声の高い渋沢栄一に。
5千円札は樋口一葉から津田梅子、
1千円札は野口英世から北里柴三郎に変わります。
今回は、その新1万円札になる
ぼくが畏敬の念を抱いている
(深谷ねぎの)埼玉県深谷市出身の渋沢栄一と、
渋沢と渡り合える経済人、薩摩(現鹿児島県)出身の
大阪や関西経済に成果を残した
五代友厚の話しでもしようかなぁと。
渋沢栄一はご存知の方も多いと思います。
2021年の大河ドラマ「青天を衝け」で吉沢亮が
幕末から明治へ、疾風怒涛の時を走り抜けた
渋沢栄一を13歳から91歳まで務め切りました。
大百姓とは言え、
農家の出の者がおよそ500の企業を手掛け、
およそ600の社会公共事業と関係し、
ノーベル平和賞の候補に二度もノミネートされました。
資本主義の父と呼ばれるだけあって、
偉業の1つは1873年に日本初の近代銀行である
第一国立銀行が創設されると、
総監役、また頭取のポストに就いたこと。
そりゃあ、お札にもなるよね。。。
日本初の近代銀行で、
その銀行の頭取になったんだもんね。。。合点承知!!
かつ、もうひとつは現東京証券取引所の前身の兜町に
東京株式取引所を1878(明治11年)、
三井養之助らと一緒に出願し、創り出したことです。
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渋沢は500超えの企業、団体の創設に関係を持っています。
そのなかから代表的なものを記載します。
抄紙会社(しょうしがいしゃ)……のちの王子ホールディングス
東京商法会議所……のちの東京商工会議所
大阪紡績会社
日本郵船会社……のちの日本郵船
東京瓦斯(がす)……のちの東京ガス
日本女子大学
石川島造船所
東京株式取引所
日本興業銀行
京都銀行
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そのほかには、渋沢栄一と聞いて、
なにはさておき、
彼の著書(正確に言うと彼の講演内容を編集したもの)である
『論語と算盤』を思い浮かべた人も多いことでしょう。
会社のリーダーたちの座右の書として長い間支持され、
その上、近ごろは若い実業家からも着目されています。
さらにつけ加えると、
ドジャースとスポーツ界で史上最高額の契約をした
大谷翔平選手の愛読書としても波紋を起こしました。
役立つ中身ですので、
興味がある方はぜひご一読してみてはいかがでしょうか。
続いて、日本初の株式会社は
坂本龍馬が創設した亀山社中(かめやましゃちゅう)で、
それを動かしていたのが
「海援隊」だと言われているのはよく知られていること。
しかも、その坂本龍馬と親しくしていたのが
「西の五代」こと、五代友厚。
一部には莫逆の友とまで言われていたようです。
五代友厚の人生を映画化、
2020年12月に全国公開した
故 三浦春馬、最後の主演の「天外者(てんがらもん)」。
この作品は、三浦春馬が全身全霊を注いだとわかる作品で、
彼の堂々とした演技を観てほしいからということも無論のこと、
それ以上に五代友厚という人を注目してもらいたい、
この映画が五代友厚を知る縁となってほしいと思っているので、
どうか観てもらいたい作品です。
渋沢栄一が東京証券取引所を創ったのならば、
大阪取引所を創ったのは・・・そう、五代友厚。
五代は大阪の両替商であった鴻池善右衛門、
住友財閥の住友吉左衛門、
三井元之助らと大阪株式取引所(現大阪取引所)の
設立発起人に参画していたそうです。
大阪取引所の前の銅像は
五代友厚だって知っていましたか??
大阪商工会議所も五代が設立に参加し、
案の定、銅像が建っています。
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五代友厚の業績・功績をまとめると・・・
・ベルギーブリュッセルでモンブラン伯爵と貿易商社設立契約に調印(1865年)
・長崎のグラバーと合弁で長崎小菅にドックを開設(慶応2年(1866年))
・西郷隆盛や大久保利通らとともに倒幕に活躍(慶応4年(1868年))・初代大阪税関長となり、大阪税関史の幕を開ける
・大阪通商会社、為替会社の設立に尽力する(明治2年(1869年))
・英和辞書を刊行(明治3年(1870年))
・大阪に造幣寮(現・造幣局)を誘致する(明治4年(1871年))
・弘成館(全国の鉱山の管理事務所)を設立する。(明治6年(1873年))
・半田銀山(福島県)の経営を開始する。(明治7年(1874年))
・五代の斡旋により、大久保利通・木戸孝允らによる大阪会議開催(明治8年(1875年))
・朝陽館(染料の藍の製造工場)を設立(明治9年(1876年))
・堂島米商会所を設立(明治9年(1876年))
・大阪株式取引所(現・大阪取引所)を設立(明治11年(1878年))
・大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立して、初代会頭に就任(明治11年(1878年))
・大阪商業講習所(現・大阪市立大学)を創設(明治12年(1879年))
・大阪青銅会社(住友金属工業)を設立(明治14年(1881年))
・関西貿易社を設立明治14年(1881年)
・共同運輸会社を設立(明治15年(1882年))
・神戸桟橋会社の設立許可を得る(明治15年(1882年)⇒1884年11月開業)
・大阪商船(旧・大阪商船三井船舶→現・商船三井)が開業(明治17年(1884年))
・東京において日本郵船会社を斡旋(明治18年(1885年))
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急激に世の中が変化することを
窮地と捉えるか、
好機と捉えるかで
人の未来はまるっきり変わってくるということを
おふたりから教えて頂いた感じがします。
ダーウィンの進化論に
「生き残るのはいちばん強い種でも、
いちばん優れた種でもない。
環境の変化に最もうまく適応できた種である」
という誰もが知る理論があります。
これは何も生物のみならず、
農家にも該当すると考えています。
外側や内側の移り変わりをあしらいながら
前進していく農家こそが、
生きながらえるのではないでしょうか。
マイナスにあってプラスを見いだす。
七転び八起き。
社会情勢が大きく変動している時期だからこそ
好機があることも強く意識しようと思います。
近藤家は300年以上続いています、ご先祖さまから渡されたバトンを
しっかりと次世代に渡せるよう生き残りますよ、ぼくは。
それじゃ、今日はこの辺で。
良い一日を〜♪( ‘ω’ و(و ”
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贈呈用「極 矢切ねぎ」【限定30箱】のご案内
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カネキ近藤農園「極 矢切ねぎ」のご注文を受け付けております。
(最高品質を見極めて収穫いたしますので、発送にお時間を頂く場合がございます)
カネキ近藤農園の「極 矢切ねぎ」は、
徹底的に土づくりにこだわった私が作った矢切ねぎの中から、
さらに厳選したものだけを詰めてあります。
珠玉の矢切ねぎと呼んでも過言ではありません。
味・重量感・見映え・・・すべてにおいて別格の「矢切ねぎ」です。
最高の贅沢を経験したい方、
特別な方へのプレゼントをお探しの方、
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今までにない矢切ねぎの深い世界を五感でお楽しみください。
一箱一箱丁寧に梱包して、
一番美味しい時期に皆様のもとへお届けします。
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争奪戦必至!カネキ近藤農園の矢切ねぎ“盛り”のご注文
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矢切ねぎの盛り(旬の期間の中でも、絶頂期のこと)は?
と聞かれますと、ぼくはすぐに
「1月、2月」
と答えています。
つまりカネキ近藤農園の矢切ねぎの盛りは…まさに今!今なのです!
カネキ近藤農園の矢切ねぎは霜にあたるごとに食べごろを迎え、
とりわけ、年明けの1月から2月にかけては、
矢切ねぎの葉(白い部分)を意識してみると
粘度の高い小さな露が噴いているのが見受けられます。
この箇所は、光合成で生産された貯蔵養分「蔗糖(しょとう)」で、
このあふれ落ちる蜜は、よくよく太陽の光を受け取り、
精力的に光合成した証拠。
カネキ近藤農園の矢切ねぎはもちもよく、
鍋以外もみそ汁や焼きねぎなど様々な用途に使えるので、
ちょっと余計に買っておいても困ることがない万能野菜です。
この時期はカネキ近藤農園の矢切ねぎのない
食卓なんて考えられません。
このような蔗糖が溢れ出す時期が「矢切ねぎの盛り」で絶品となる裏づけです。
“ご注文を受けてから畑で収穫”
豊かな地で育った、自信の“矢切ねぎの盛り”を是非ご堪能ください。
※現在、ご注文の確認および、お問い合わせの返信に
お時間をいただく場合がございますこと、
ご了承いただければ幸いです。
ご不明な点がございましたら、お問い合わせください。
ご注文はこちらからどうぞ
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取材ご希望のメディア関係者の皆様へ
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カネキ近藤農園では取材、撮影等を積極的に受け付けております。
当園の取り組みについて、
多数の媒体にて
数々取り上げていただく機会
(https://yakirinegi.com/media)をいただきました。
ありがとうございます。
皆様のお力をお借りして、
少しでもたくさんの方に「矢切ねぎ」の
機能性や健康成分などについて知っていただければ
嬉しく思っています。
可能な限り取材協力をいたしますので、
取材のご希望などございましたら、
下記の項目をinfo@yakirinegi.comよりお知らせ下さい。
・貴社名
・ご担当者名
・ご連絡先
・媒体名
・番組名
・掲出、放送予定日
・企画内容
原則ご連絡を頂いてから
3日以内にご連絡致します。
※お急ぎの場合はお電話(047-360-0245)で
ご連絡頂きますようお願い致します。
急ぎ対処できるよう出来る限り対応致します。
※但し、広告掲載を条件にした「有料の取材」は、
ご辞退します。申し訳ございません