カネキ近藤農園

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カネキ近藤農園のアナザーストーリー 第6話 父親の気持ち

準備中
🎵電車の中 押し合う人の背中に

     いくつものドラマを感じて

     親の背中にひたむきさを感じて

     このごろ ふと 涙こぼした〜🎵



僕の若い頃のナンバーワン!!

尾崎豊の【17歳の地図】です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不安と疑問を抱えながら会社員生活を過ごしていて

 

 

建設現場で必死に働いてる人々を見て

 

 

 

そしてその人達の裏側にあるドラマやストーリーを感じて

 

 

 

 

 

ふと、一生懸命に働く親の背中を見て・・・

 

 

 

 

 

就農する直前の、まさに僕の気持ちでした

 

 

 

そして、息子が跡を継いでくれた事に対する父親の気持ちってどんなだろう・・・

 

 

 

 

 

まぁ、その事に対して父親と話をした事はありません

 

 

 

 

近藤家は代々300年以上も続いています

 

 

1度、僕が跡を継ぐ事をキッパリと断った事によって

その歴史が止まってしまう絶望感がひっくり返されたんだから、きっと嬉しかったと思います

 

 

 

言葉や態度には表さないけどね

 

 

 

相当、嬉しかったと思います

 

 

 

🎵どんな生き方になるにしても

     自分を捨てやしないよ〜🎵

 

 

 

 

 

つづく

カネキ近藤農園のアナザーストーリー 第5話 ついに就農 そして師匠

準備中

そんな様々な事柄が重なり、30代半ばで就農しました。

 

 

 

そして色んな農業コミュニティや講習などの誘いがありました。

 

それはそれで嬉しかったんだけど、一応全部お断りしました

 

 

 

やっぱり1番の先生・師匠は父親だと思ったからね

(今でも思ってる)

 

 

 

 

 

 

 

 

エリアによって作り方は違うし

 

畑ごとに作り方は違うし

これスゲー大事!!

 

時期ごとに作り方は違うし

 

降雨の後だって、小雨の後と大雨の後とでは、対応が違ってくる

 

 

 

机の上と現場は違う!!

って言うけど、現場によっても作り方は違う!!

 

 

 

 

 

 

 

 

近藤家の作り方は近藤家の師匠に教えてもらうのが1番だからね

 

今でも不明点や不安点は76歳の御師匠様に聞きますよ 笑

 

つづく

カネキ近藤農園のアナザーストーリー 第4話 就農に向けて気持ちがグラついだキッカケ

準備中

今から20年ほど前ですね。

 

 

 

皆さんは何をしてましたか?

 

 

 

僕は会社員として働いていて、上司に飲みに連れて行ってもらった30歳の頃。

 

隣のテーブルに座っていた、見ず知らずの白髪ダンディーな恰幅の良いカーネル・サンダースみたいな70歳くらいのオッサンと会話してね

 

 

 

 

 

 

『経済の大きなウネリはだいたい50年周期だからナ。 景気が悪くなって暫く経つけど、まだまだあと25年くらい経たないと景気は上向きにならないぞー』

 

と言われたんだよね

 

 

 

『そうなんですか!?

いま僕は30歳だから55歳くらいまで景気が悪いって事ですか!?

マジですか!?

 

マジっすか!?

長く辛い会社員人生になりそうですねー』

って会話した

(ツマラナイ人生になっちゃうのか?)

(会社員辞めようかな・・・)

 

 

 

 

 

🎵若い頃の夢なんて

    もう思い出せない

    忙しいだけの仕事に

    追われているうちに🎵

               by.浜田省吾

 

 

 

 

 

 

 

 

そして腰を痛そうにしている父親

畑作業を辛そうにしている父親・・

 

 

 

 

 

僕がいま51歳です

 

あのまま会社員を続けていたらどうなっていただろうか?

 

 

いまだに景気は上昇せず

何ならあの時よりも悪化してないか!?

 

カーネル・サンダースが言ってた言葉は間違ってなかった・・・

 

つづく

カネキ近藤農園のアナザーストーリー 第3話 跡取り問題・・・跡継ぎ拒否!!

準備中

会社員をしていた25歳の頃に、一度父親に聞かれた事があるんだよね

 

『跡を継ぐ気持ちは、どうなんだ?』
ってね

 

その時の僕は建築設計の仕事に就いていた

 

高校生の時に、ドラマ【並木通りの男】で玉置浩二が建築設計士を演じていて、ものすごく憧れてね!

 

 

 

 

 

 

 

 

アルカナで、クリエイティブで、
クールで、物凄くカッコ良かった!

 

 

 

エンディングは安全地帯の
「I Love Youからはじめよう」
は素晴らしい曲🎵🎵

 

 

 

 

 

 

これだー! って思った!

この仕事だー!って思った!

 

 

 

 

 

だから高校を卒業して、

建築設計の専門学校に通って、

建築設計事務所に就職した

 

 

 

 

 

情熱があったし、だから仕事が楽しくってね

図面を描かせてもらえる上に給料までいただけるなんて最高ヒャッホー☆って思ってた

 

 

 

社内の雰囲気も良くて、

人間関係にも恵まれて、

残業も苦じゃなかった

 

 

 

だから

『いま就いてる仕事が超・楽しくて、やり甲斐があるから跡を継ぐ気持ちは無い』

ってハッキリと断ったんだよね

 

 

 

 

 

 

いま僕には息子がいます

 

 

 

 

 

みなさんに問います!

自分の子供が、情熱を持ってやり甲斐を感じてやっている事を、止めさせる事ができますか??

 

 

 

 

 

・・僕には出来ません

 

 

 

 

 

なぜなら、情熱を持ってやり甲斐を感じて一生懸命にやってる若者の可能性は無限大だから

 

どこまでも伸びる可能性を秘めてるから

 

 

 

 

あの時、キッパリと断られた父親の気持ちって・・・ねっ

 

 

つづく

 

カネキ近藤農園のアナザーストーリー 第2話ダンカンこのヤロー!ビートたけしさんからの金言

準備中

小学生のころだったか中学生の頃だったかなー

 

近所の畑のド真ん中で、ビートたけしさんがテレビの収録をしてたんだよ

 

【ビートたけしの元気が出るテレビ】

 

 

 

 

 

 

の番組だったか

 

【ビートたけしのお笑いウルトラクイズ】だったかな??

 

 

 

 

 

(あの時代のお笑い番組って今じゃ絶っっっ対に無理な事をやらせてたよね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ芸能人って見たこと無い少年時代

 

 

 

当然、野次馬としてワチャワチャしながら見に行った僕

 

 

 

 

「握手くらいならワンチャンあるかも!?」

 

 

 

 

ロケの休憩時間だか終了時間だか何かで、

 

たけしさんが自由になってロケバスに向かって歩いてた時に図々しく

 

『握手して下さい!』

 

とお願いしたら笑顔で気軽に

 

『おーいいぞ。 あんちゃんここら辺の子か!?』

 

『そうです。近所の矢切ねぎ農家の息子です』

 

『おーそうか! こんだけ東京から近いんだし、

 

 

こんだけの畑があんだからよぉ、

 

あんちゃん日本一のネギ屋になっちゃえよ!』

 

って言われたんだよね

 

 

 

 

 

短い会話だったんだけど、ずーーっと忘れないやりとり。

 

 

 

きっとこれから一生忘れない、ビートたけしさんからの金言

 

 

 

後に僕が就農する事になるキッカケの1つでもある、やり取りでした

 

 

 

いつの日か、直接たけしさんに会って言いたいんだよね

 

『あの時のあんちゃんが、今オッサンになって日本一のネギ屋を目指してます』ってね

 

 

 

たけしさんは、とっくに忘れてると思うけどな 笑

 

 

 

 

つづく

 

 

 

カネキ近藤農園のアナザーストーリー始めます 第1話 まだまだ矢切ねぎ魅力伝道師ではなかった青年期

準備中

どうも!

バブル景気のオイシさを知らない世代の近藤ですww

 

 

 

 

 

B’zやZARDやWANDSや大黒摩季やミスチルなどのCDがバンッバン売れてた90年代の近藤青年の話

 

 

 

 

矢切ねぎの魅力をまだまだ知らない若い頃は、草野球&スキーばかりの生活でした

 

 

 

 

 

通っていたスポーツクラブにも

『草野球とスキーをやっているので、それに見合ったプログラムを組んで下さい』とお願いしていたくらいです 笑

 

 

隣市のバッティングセンター(市川市・大慶園)に定期的に通っていたし、会社の昼休みにもバッティングセンターに行ってマン振りフルスイング 笑

 

 

汗ダクで会社に帰ってきて

『コンちゃんどうしたの!?』

って言われたり 笑

 

 

 

お陰様でまぁまぁな成績を残せました 笑

 

 

 

 

 

 

 

 

スキーも行きまくったなー

良く滑ったのは丸沼高原か苗場か。

毎年毎年、年末は岩手県の安比高原や山形県の蔵王温泉なんてクソ遠いスキー場までよく通ったもんだよ 笑

 

 

 

 

 

Maxだと1シーズンで43日滑ったからね 笑

温暖化の現在では考えられない日数 笑

 

 

 

そうそう、

 

カナダのウィスラーにも滑りに行ったっけ

 

 

 

 

 

 

 

今ではスキーシーズン=矢切ねぎの繁忙期

 

滑りに行きたくても行けましぇーん

 

 

 

 

 

 

 

 

あの頃よく一緒に滑りまくったメンバー!

もうオジサンだよな!

もうオバハンだよな!

 

元気で暮らしてるかー!!

達者で暮らしてるかー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな日常をおくっていた若い頃でしたが、すぐそばでは両親と祖父が一生懸命に矢切ねぎを育てていました

 

 

 

矢切ねぎの魅力に、遊んでばかりでまだ気付かない近藤青年

 

 

 

その魅力に気付くには、まだまだ若過ぎる僕でした・・・

 

 

 

つづく

 

 

 

皆さんの作った矢切ねぎオリジナルレシピを募集しています!

採用されたレシピはホームページに順次掲載します。

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